出てこない!

ありゃ? 何を書こうとしたんだっけな?
そうなのだ、出てこないのである。ひとの名前や地名は勿論の事、自分の行動目的すら忘れてしまう。何かをしようとその場所に行ったはいいが、何しに来たのかを忘れてしまう始末である。ただ、この場合の原因として考えられるのは、普段から兎に角いろんな事を、目まぐるしく考えているからではないかと思うのである。例えば、そうだそうだ今度アレを使うから家の2階から取って来よう!なんて階段を登りながら、う~む、ひょっとして育毛にキクのはビタミンCだったりしないのかなぁ? ああ、髪の毛といえば、あいつ元気にしているだろうか? そういや、アイツも結構いってたなぁ・・・なぁんてやっていると、2階にたどり着いた時にはもう、「はれれ?」なのである。
先日などは、もはやこれまでかと、人生を回想してしまう程の出てこないっぷりであった。
台所にあったレジ袋の中の野菜の名前が出てこないのである。ありゃ?この丸いの、なんだっけな?いくら考えても出てこない。別のものをスマホで検索をしていたら、たまたまサツマイモというワードが出てきた。そうだ、こりゃあ芋だ。ただ何芋だったかが出てこない。う~ん、としばらく考えて、やっと「じゃが」という言葉が出てきたのである。なんと、「じゃがいも」が出てこないというステージである。
人の名前などの時は、思い出そうと、すればするほど出てこない。どっちかというと、記憶が逃げていく感覚である。そんな時にかぎって普段出てこない名前がスラスラ出て来たりするものだ。

記憶というか、人間のメモリー機能というものは、いったいどうなっているのだろうか、不思議なものである。

ツムは、何者だ?

朝は、必ず生野菜を食べるようにしている。
レタスも、朝食によく出る野菜だ。
私が朝食を作っているときに、レタスの葉に時々、3ミリぐらいの粒を発見する。
今朝もそうだ。きっと青虫か何かのフンに違いないと、指先でチョイチョイと洗い流そうとした私だったが、今日にかぎって、観察でもしてやろうと近眼用の眼鏡をずりあげて、その粒をよおく見てみた。
私がいつも、その粒をみつけるたびに、洗い流していたその物体は、フンでも何でも無く、なんとカタツムリであった。
子どもの頃、親を馬鹿にしていたあの老眼という、厄介な現象のおかげで、フンとカタツムリの区別もつかない私により、危うく一命を落とすところだったツムツム。
そう、発見後30分もしないうちに、その粒は、私からツムツムと呼ばれていた。
カタツムリのツムツム。

ちなみに、カタツムリというのは、ひとつの身体に、雄と雌が同居しているらしい。

彼なのか、彼女なのか、わからないツムツムであった。

かわいい~♪

もう、タイトル通り。
かわいい~ったら、ありゃしない。言わずと知れた、ディック ブルーナさんのミッフィーちゃんのホーロー製マグカップ。結構たっぷりな容量。

私と妻とで、青いワンピースの方の取り合いになってしまったが、結局、妻が折れてくれた。よかった。

ちなみに、この青いワンピースのミッフィーちゃんは、1970年のデザインのようです。

とっても、おやさしい、お顔でいらしたブルーナさんは、今年の2月に、お亡くなりになりました。

いつか、沿岸にできたミッフィーカフェに行ってみようと思う。

うんのつき

先日の話だ。ウチのトイレのウォシュレットから水が出なくなった。前から時折あった現象だが、温水のスイッチの灯りが点灯し、エラー状態になるのだ。適当に色んなボタンを長押ししたりすると出たりしていたのだが、いよいよ出なくなってしまった。
説明書を奥から引っ張り出し、まじまじ読んでみると、フィルターが詰まっている可能性があるようだ。
バケツを用意して、一度ドレンから水を抜き、フィルターを外しチェックをしてみたが異常は無かった。もとに戻して様子をみると正常になっていた。訳がわからない感じだったが、一旦、よしとする事にした。
しばらくの間トイレにこもり、便座に額を付けるほどの作業を続けていたため、いささか気分が悪くなった。作業を終えて、何かテレビでも見て気分を変えようとスイッチを入れてみた。アニメをやっていた。こんな内容であった。ある小学校で主人公の男の子が、トイレでうんちをしようとしたのだが、トイレシャワーが付いておらず、お尻を洗えない為にうんちが出来ないときたもんだ。男の子を助けるため、森の仲間たちが、あれこれ思考錯誤するという訳だが、散々トイレでウォシュレットと格闘したあげくに、テレビでこの仕打ちである。
人間生きていると、いろんな経験をするが、世の中、偶然だけではない、必然性というものを、感じ得る時があるものである。

生命力

ちょいと前の事。夕食の準備に食材を確認していて、随分前に泥付きの、どこだったか産のえらい太い長ネギを買っておいたのを思い出した。
ビニール袋から出してみて驚いた。しばらく放置しといたその長ネギの先に、なにやら蕾のような膨らみがあるではないか。すかさずネットで、「長ネギ、つぼみ」で検索してみると、どうやらよくある事のようで、4月ごろの季節に長ネギを放置しておくと、つぼみが出るらしい。しかも硬くなってしまい食べられないそうだ。
まあ、みた感じ食べられそうではあったが、食器棚の引き出しの取っ手にスーパーの袋に入ったままぶら下げられた長ネギが、わずかばかりのその泥から栄養素を吸収し、たいして陽の光の当たらない台所で、四季の移り変わりを感じとり、袋の中で花を咲かそうと準備をしていたかと思うと、その健気さに、とても、食べてやろうという気が無くなってしまったのだった。
妻に事情を説明し、どうしようかと過ごしていたら、その後、妻の作るうどんの食材に使われそうになり、私は慌てて、せめてもと、つぼみが付いている茎を途中から切り取って、庭の鉢に植えてみることにしてみた。
それは、春の台風並みの季節風にあおられながらも、短いネギにはなったが、ちゃんと目的をはたそうとしている生命なのであった。

あるべき姿

昨年の6月に、ここ岩手で長年愛され続けてきた百貨店が、43年間の歴史に幕を下ろした。

耐震不都合と建物の老朽化が原因であった。

1年前、閉店するらしいという話を聞いたその日、私は『なんだっけなや~!』を、100回は言った事を記憶している。

いやしくも閉店の原因となってしまった70年代前半オープン以来、(それ以前にあった場所からの移転)変わらないその建物のレトロ感。そして何よりも、ここのメインである、平日でも大勢の客でにぎわう大食堂。この大食堂のとりこである私ら夫婦は、毎度その雰囲気を味わう為に、50分以上をかけて車で向かうのである。

多彩な食品サンプルが並ぶウインドウの中からメニューを選ぶ、あのワクワクなひと時。食券での注文に始まり。今では見かける事の少ない縦型の割り箸の入れ物。テーブルや椅子、壁紙に照明、奥に見える活気あふれる調理場。名物のソフトクリーム。おいしそうに、かつ、幸せそうに食している老若男女。すべてが魅力的なのだ。

タイムスリップを感じさせる、その夢のような時間を、もう味わえない事になるかと思うと、とてつもなく残念でならなかった。

正式な閉店予定日発表のニュースの後、その前に、今一度という思いで私たち夫婦は、その大食堂へと向かった。

名残り惜しみながら食している客達。そして、いつも通りに仕事をこなしている店員たち。

階段の近くに陣取り、最後になりうる味と雰囲気を堪能している私達の後ろから、その時、大きな声が聞こえた。

『おばあちゃん! 大丈夫!? エレベーターで行ったら!?』

いまこの見晴らしの良い大食堂で、幸せなひと時を過ごし、帰るべく階段を下りようとする、ひとりのおばあちゃんに、おそらくパートであろう、ここの女性店員が気遣いで声をかけたのである。

昨今、サービス業では、客との対応はマニュアル化され、なにか人間関係が希薄してきた感がある中、まったくもって利益目的などを感じさせない、人間としての当たり前の行為の自然な振る舞いに、私達夫婦はひどく感動し、涙をにじませながら目の前の光景の中にいたのである。

私はその呼び止める声を聴いた瞬間、『すばらしいな!!』と奥さんの方に目をやった。

私は思った。長年愛され続けてきたこの百貨店の本当の姿が、まさに、ここにあったのだろうと。

その後、この街の有志が、この百貨店の再生に乗り出し、ついに今月、大食堂は再スタートした。以前ここで務めていた多くの従業員が、再び呼び戻されたという話を聞いた。

変わらない味と雰囲気と共に、変わらない人情も存続していただきたい。

 

 

エースか!?、道化師か!?

アメリカの新大統領が就任したので、せっかくだから何か書いてみようかなあと。

支持派、反対派、すったもんだである。暴動まで起きて逮捕者って?建物のガラスを割ったり、車に火を付けたりしても何も解決しない。(まあ、さくらのような気もするが。。。)はたまた、一国の長となる人の発言が物議を醸している。人種差別やら不法移民問題やら。まったくもって、いわゆるアメリカ先住民達からすれば、おまえらが出て行け!だろうか。

そんな日だったが、日本では、稀勢の里関の念願であった初優勝が決まった。よかったよかった。

冬の、あそび

ウチの庭に作った雪のお城に、今日もすずめ達が来ました。

冬になり、雪が積もった時の恒例である。

各部屋に鳥の餌を入れておくと、食べに来ます。

すずめ達も、覚えていて、毎年、雪が降れば必ず来るのです。餌が無くなると、窓をくちばしで叩いて、催促したりします。

そうしているうちに、今度は吊るしておいた干し柿を食べに、ヒヨドリがやって来ました。

冬場の、動物たちの食の確保は大変でありましょう。

箱根駅伝

年も開けて、しばらくたつ。正月は恒例の箱根駅伝のテレビ観戦であった。

この箱根駅伝を観ていて、腑に落ちない事がある。繰り上げスタートである。

後続の選手が、先頭の選手より規定の時間内に中継所にたどり着けない場合、たすきを繋ぐ事を許されずに、次の選手がスタートを切るという、あれである。なぜそんなルールがあるのか?理由は、選手のレベルを落とさない事。それと、交通渋滞を防ぐ為のようである。

たすきを繋がなくても良いのであれば、もはや、駅伝では無い。観ていてわかる通り、選手は皆、必死である。レベルの問題ではない。なおかつ、交通渋滞を理由とするならば、繰り上げの時点で、交通規制を解くのが筋である。しかし、解けるわけがない。そうなのである、選手が走っている以上、規制は続くのである。

 

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新年

  • 新しい年になりました。お馴染みの方々、昨年中は、お世話になりました。
  • 今年出会う方々、よろしくお願いいたします。
  • あんな事や、こんな事、想像を越えた出来事もあるんだろう。とりあえず一年後も、無事にこおして文章を書けますように、と。