泣けばいい。

いったい、このブログとやらを、どれぐらいのひとが見てるのか分からないが、たまたま、ご覧の方の中で、只今とっても悲しい気持ちになっていたり、辛い場面に出くわしたりしていたのなら、我慢などをせず、いっぱい泣いたらいいと思う。
東日本大震災のあたりからか、まあ、その前からだった気もするけど、『辛い時こそ笑顔で!』なんていうフレーズをよく聞くようになった。
なんか、前向きな、すごくいいことを言っている気になっているだけで、はたして、親や子供、兄弟や恋人を事故や病気、災害などで無くしてしまったひとに、ただでさえも、その起きている事象で、とてつもない心労にある状態なのに、本当は泣き叫びたい程の気持ちを無理やり抑えつけ、笑えというのは、そんなのは、単なる拷問ではないか。ましてや、それが子供であれば、尚更である。『悲しかったね、辛かったね』と、悲しい感情を吐き出してやるのが、大人や回りの役目だとおもう。
頑張って頑張って、必死に辛い事と戦って、平常を保つだけでも大変な状態なのに、さらに追い詰める必要はない。
こんな事を言っているひとは、本当に辛い経験をしていないのだろう。大事な人が亡くなったとしても、その瞬間、いやその前から、ヘラヘラ笑っているのだろう。そうでなきゃ、矛盾している。
泣く事は、決して悪い事でも何でも無いし、人間にとって大事な感情表現、喜怒哀楽の一つなわけで、大笑いするのも大泣きするのも、時には怒るのも、当たり前に必要だし、そもそも人が一番最初に出す感情は泣く事である。
『涙をみせずにいるひとは強い人だ!』てなことを語るひともいるようだ。
これもどうだろうか、いいじゃないか、べつに『そこまで』強くなくたって。確かに、自然界では弱い生き物は淘汰されてきた。でも、人間に与えられた感情表現は必要枠で、それも社会でコミニュケーションをとる手段であり、人間が生きる為の武器なんじゃないだろうか。
だから、泣きたい時は、いっぱい泣いて、笑いたい時は笑い、怒れる事態の時は、怒る!で、いいとおもう。
常識の範囲内で。
それでだ、いっぱいいっぱい泣いたら、いつまでも、どこまでも、沈みっぱなしを続けるというのは、やはり身体にも、せっかくの人生においても、良くないし、勿体ない。
ある程度の時間が過ぎ(これが、人によるとは思うが)たら、今度は、自分が以前のように、笑ったり怒ったり美味しく食べたり出来るようになるには、さてどうしたらいいかな、と、そこから考えれば良いのではないかな。
過去の悲しい出来事を忘れようと、無理に努力する事も無いとおもう。本当に忘れてしまいたい事がある場合はしょうがないが、すっかり忘れなければ、前に進めないわけでもないだろう。
また、笑える日が来るのを目指し、今は泣けばいいさ。