うんのつき

先日の話だ。ウチのトイレのウォシュレットから水が出なくなった。前から時折あった現象だが、温水のスイッチの灯りが点灯し、エラー状態になるのだ。適当に色んなボタンを長押ししたりすると出たりしていたのだが、いよいよ出なくなってしまった。
説明書を奥から引っ張り出し、まじまじ読んでみると、フィルターが詰まっている可能性があるようだ。
バケツを用意して、一度ドレンから水を抜き、フィルターを外しチェックをしてみたが異常は無かった。もとに戻して様子をみると正常になっていた。訳がわからない感じだったが、一旦、よしとする事にした。
しばらくの間トイレにこもり、便座に額を付けるほどの作業を続けていたため、いささか気分が悪くなった。作業を終えて、何かテレビでも見て気分を変えようとスイッチを入れてみた。アニメをやっていた。こんな内容であった。ある小学校で主人公の男の子が、トイレでうんちをしようとしたのだが、トイレシャワーが付いておらず、お尻を洗えない為にうんちが出来ないときたもんだ。男の子を助けるため、森の仲間たちが、あれこれ思考錯誤するという訳だが、散々トイレでウォシュレットと格闘したあげくに、テレビでこの仕打ちである。
人間生きていると、いろんな経験をするが、世の中、偶然だけではない、必然性というものを、感じ得る時があるものである。

生命力

ちょいと前の事。夕食の準備に食材を確認していて、随分前に泥付きの、どこだったか産のえらい太い長ネギを買っておいたのを思い出した。
ビニール袋から出してみて驚いた。しばらく放置しといたその長ネギの先に、なにやら蕾のような膨らみがあるではないか。すかさずネットで、「長ネギ、つぼみ」で検索してみると、どうやらよくある事のようで、4月ごろの季節に長ネギを放置しておくと、つぼみが出るらしい。しかも硬くなってしまい食べられないそうだ。
まあ、みた感じ食べられそうではあったが、食器棚の引き出しの取っ手にスーパーの袋に入ったままぶら下げられた長ネギが、わずかばかりのその泥から栄養素を吸収し、たいして陽の光の当たらない台所で、四季の移り変わりを感じとり、袋の中で花を咲かそうと準備をしていたかと思うと、その健気さに、とても、食べてやろうという気が無くなってしまったのだった。
妻に事情を説明し、どうしようかと過ごしていたら、その後、妻の作るうどんの食材に使われそうになり、私は慌てて、せめてもと、つぼみが付いている茎を途中から切り取って、庭の鉢に植えてみることにしてみた。
それは、春の台風並みの季節風にあおられながらも、短いネギにはなったが、ちゃんと目的をはたそうとしている生命なのであった。